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私の彼女がはじめてはっきりとした霊を見たのは 彼女が4歳の時で嵐の晩だったそうです


なかなか寝付けず寝返りを打って何気に窓に目をやったその時 女の人の影が写ったんです!!
髪の毛を結ったふっくらした感じの女性の影です

あれ~なんでこんな嵐の夜に人が立ってるんだろう?
濡れちゃうんじゃないかなぁ~?
彼女は不思議に想いながら隣で寝ているお婆ちゃんに


彼女「あそこに女の人がいるけど・・・うちに用事なんじゃない?


お婆ちゃん「どこにそんなんおるの こんな嵐に誰もおらへん


と言ってお婆ちゃんは窓の外を見に行ったんです
でもそんな嵐の夜中に誰もいるはずはがありません(^^;


お婆ちゃん「早く寝なさい


彼女はその時 子供心ながら得体の知れない影を見たことに恐怖を感じたそうです
しばらくするとお婆ちゃんは寝入ってしまいました


彼女はまだ寝付かれず窓の方を見ていたら・・・
窓の外に一点の小さな光が写ったんです!

すると その光が突然窓の中に入ってきたと思ったら

髪の毛を結い喪服を着た女性が白い百合の花束を持って二人の男性を後ろに引き連れて 彼女の頭の上を横切りました∑( ̄□ ̄;


そして奥の部屋へ吸い込まれるかのように消えていったんです




それから10分位経った時でしょうか・・・



突然電話が鳴ったんです!





そうです!それは親戚の伯母さんが亡くなったという知らせでした


彼女はその伯母さんと面識さえなかったのですがたまたまそのお葬式に連れて行かれたんです
そして棺桶の中の顔を見た時 彼女は思わずお婆ちゃんにこう言いました


彼女「昨日の夜 この伯母さん来たのに もう今日死んじゃったの?
  「花束持って家の中歩いていたよ~


お婆ちゃん「そんなわけないでしょう!


おじさん「それ何時頃だった?


彼女「夜遅かった 寝てたもん
  「でも電話が鳴る少し前だったよ!


おじさん「あ~じゃあ伯母さんが最後にそっちに遊びに行ったんだね~


彼女「ううん 遊んでなかったよ!歩いてただけだよ!



おじさんは笑って頷いてたそうです(^^)




その時点で彼女にはまだ霊という存在をはっきりと認識できたわけではありませんが
彼女にとっての初霊体験でした(^^)




あなたは初霊体験を覚えてますか?(^^)


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私はここ最近まで水子の祟りは恐ろしい!と信じていました
水子供養という言葉もあるし この世に生まれたくても生まれることができなかった霊はその想いの強さゆえ祟りを招く・・・という考え方に何の疑問もありませんでした(^^;


しかし 私の調べたところでは・・・


水子の祟りなどあり得ないんです!!∑( ̄□ ̄;




これを説明するにはまず生まれて来る時の親子関係の意味を解かねばなりません

       

(談:丹波氏) 子供の方が親を選ぶんだ。「勝手に生みやがって」なんて子供が言ったら、「勝手に出てきやがって」と言うのが正解。子供の方がねらいを定めて親の方に飛び込んで来るんだ。 例えば前世で美人だった場合、それを自慢する人生を送ったなら、次はおかめ、ひょっとこの様な両親を狙って生まれて来るんだ。「何でこんな顔で生んだんだ」と怨むが、貴方の方が選んだんだ。



このように魂が現世に修行として戻ってくる場合 どの親の子として生まれるかは自分自身が決めて生まれてくるんだそうです!課題を持って生まれるわけですから生まれてから自分は不遇だ!と思うのはある意味当たり前ってことなんですね(^^;自分で選んだ道なんですから文句を言わず自分に足りない部分を補う勉強をしなければ生まれた意味がないんです(^^)




そういう観点からすると 水子というのは何だろう?




(談:小池氏※1)水子というものを一般では祟りがあるとか霊障が有るとか水子供養をしなければいけないと仰る霊能者ですとか、お寺さんですとかが多いわけですけれど、ここで知っておいて頂きたいのは、水子供養の対象となるような霊の存在は無いということです。祟りをするとか障るとか何かを引き起こす問題は無いと言うことです。ですから、霊能者の方が「水子供養が必要ですよ。御祓いをしなければ病気は治りません」そう言うようなことを言われるとしたなら、率直に申し上げて本物では無いと……ハッキリ言ってお金儲けであると言うふうに捉えた方がよろしいと思います。

※1 スピリチュアル研究家 小池里予氏  


(談:丹波氏)飛び込んできたのは子供の方だから、親が呼び寄せたわけじゃないから。飛び込んできて、「ここしまった」「違っちゃった」と気がついた魂はノック(知らせる)するわけですね、母親を。母親はノックに気がついた場合は堕ろしてしまうんです。ここで生まれてきても自分の魂の修正にならないと、3ヶ月4ヶ月の時点で気がつくんですよ。 その場合、まだ結婚していないとか、体が弱いなどと言うことも条件にはいるでしょう。まあ、いろんな条件を自分で勝手に感じて(解釈して)堕ろしてしまう。その次に、いくらノックしても感じてくれない母親に対しては、自分がおなかの中で死んで、勝手に霊界に帰っちゃうんだ。


(談:江原氏)水子の供養というと水子は祟ると思われているんですが、祟る事は無いんですよ。ただ、私は水子の供養が必要だと思うことも有るんです。何う言うことかというと、その両親を心配している場合です。こちら(親)が悲しみを断ち切る、「もう良いよ」と言ってあげることによって供養になるわけです。




このように霊界研究家の間では水子の祟りなどないというのは既に常識らしいんです!
私の彼女も色々な霊を見てきていますが 水子の霊なんか見たことないって言ってます

つまり 水子の霊は亡くなったら比較的すぐに上の世界へ迎えられるので現世に彷徨いはしないのです
どうやら水子の祟りというのは 戒めとして使われた言葉のようですね(^^)




では 水子の供養は必要ないのか?



(談:小池氏)率直に言いまして、中絶であるとか、流産で子供を亡くされるということは、お母さんにとって非常に心の痛みを覚えることになるんです。ですけれども、いつまでも自責の念とか苦しみ、後悔とかをずーっと引きずっていてはいけないんです。その念に低級霊が引き寄せられてからかいをするので、霊障と言うなら寧ろ、そう言うようなことで起こるということなのです。
人間というのは、通常に生まれている以上必ず過ちを犯します。過ちを犯して、そこから教訓を学んで成長していくのが地上人生の目的ですので、失敗は誰にでもあることです。
本心からの反省をなさって、二度とそれはしないと思われたら、そして本当に正しい生き方をして行こうと思われたら、それが一番の供養です。



このように水子の供養というのは 親の念を断ち切るという意味なんですね(^^)





幼くして亡くなってしまうのはどういうことなんだろう?



生後2~3ヶ月で亡くなってしまう乳児が結構います 医学的にはっきり解明されていないので自然死と呼ばれているらしいのですが・・・
こういう場合は 概して地上生活に於いて獲得するものがあまり無いというか もうある程度の成長を遂げていて 地上体験がさほど必要無いという場合で 親の修行の為ということになるのでしょうか(^^)






水子供養などの場を設けることは何の問題もありませんが 水子という恐怖心を煽ってお金を取るという輩には気を付けましょう(^^)v







前回「オーラの泉」を見た人は記憶されてると思いますが

ゲストのベッキーさんが日頃から感謝の気持ちを忘れず毎朝欠かさずお祈りをしているという話し
このお祈りは スピリチュアル的にものすごく大切な行いです



ある本に 祈りには2つあると書かれてます


「請求書の祈り」「領収書の祈り」


例えで言えば 多くの人は大学の入試合格を神に祈ります これは「請求書の祈り」です
大学に合格することは果たして良いことなのか?
これは「人間の物差し」で「神の物差し」とは相容れません
つまり「神の物差し」からすればその人を合格させれば 当然別の人が不合格になる
すべての人を等しく愛する神がそのようなことはしないからこのような「請求書の祈り」は通じません(笑)



大切なのは皆が忘れがちになっている感謝の気持ち
何かが実現した時にありがとうございましたと感謝するのが「領収書の祈り」なのです



これは お墓参りでも神社へのお参りでも同じことですね!

これはスピリチュアル的に言えば いつも温かく見守ってくださる守護霊やご先祖様方に感謝するということです そうすればその気持ちはきっと通じて正しい方へ導いてくれることでしょう!





みなさん 頼み事ばかりしていませんか!?(^_^;A アセアセ…







私にとって聖書とは・・・それはビジネスホテルの引出しの中に入ってる本というイメージです(笑)

キリスト教信者でもなければなかなか聖書に親しむ機会も少ないでしょう
その内容が私たちの日常生活からはかけ離れているので 難しいとかわけわからんという印象を持ってしまいますよね〜




聖書には「旧約聖書」と「新約聖書」があります



簡単に説明してしまうと



旧約聖書は 人間とこの地上のすべてのものの誕生からイエスの誕生を預言する物語

新約聖書は イエスの生涯と彼のメッセージやキリスト教が世界に伝播していく物語



いずれにしろ 神と人間の契約の話しであることに変わりありませんが
根本的に違うところは


旧約聖書は エジプトの奴隷であったイスラエル民族(ユダヤ)が 神の律法を守れば神もイスラエル民族を守るという契約で 神の罰を恐れ神の律法を守っていさえすれば救済が来るとされました


新約聖書は 人間が救済を得るには律法を守る必要はなく信仰だけで充分というイエスの呼びかけによって 神の愛ひいては神そのものを心の内で信じようという新たな約束事なのである




旧約聖書は ユダヤ人にとってのバイブルであり ユダヤ教が普及します そこにイエスが現れて律法に縛られるユダヤ教に対して自由を謳ったことによりキリスト教が広まっていったんです
その自由さによって戒律が顧みられなくなったため再度神の律法に忠実にすべきと生まれたのがイスラム教です


 


当然聖書の中身は 天地創造からはじまり アダムとイブ・カインとアベル・ノアの箱船・バベルの塔・モーセの十戒・ダビデ・エルサレム・パウロ・ヨハネなどなど聞いたことのある言葉がすべて物語として出てくるんですね

これらはここで説明することはできませんが(^^;
 



まぁこんな感じで少しはどんなものかお分かり頂けたでしょうか!?(^^)


前回 私は無宗教だと申しあげました

では 無宗教とか無神論というのはどういうことなのか・・・を宗教的に検証してみました(笑)

まず キリスト教などの契約宗教からすると 契約を結んでいないということが無宗教になるわけです 社会で言えばフリーターみたいなものですね
次に 仏教などの自覚宗教からすると 自分は仏の世話になどなっていないというのが無宗教に当たります 自分の利益ばかりを追求し負けた者に対しては顧みないというわけですね
最後に 神道などの所属宗教からすると その民族の伝統やしきたりなどを無視していることになります

このように宗教のタイプによって捉え方が微妙に変わってくるんですね(^^)

契約宗教には ユダヤ教・イスラム教・キリスト教などがあります
まぁ 父親であるユダヤ教から長男のキリスト教 次男のイスラム教が生まれたという感じです
この3つの宗教には共通の聖典を持ってます それが「旧約聖書」なんです
ただ 旧約聖書の他にユダヤ教には「タルムード」キリスト教には「新約聖書」イスラム教には「コーラン」という聖典もありそこにそれぞれが別の宗教となっているわけです

自覚宗教は 主に仏教になります
仏は 人間を含めたあらゆる生き物全てに慈悲をかけています
自分は仏に救われているのだということを自覚した時にはじめて仏教徒になるわけですね

所属宗教には 日本の神道・インドのヒンズー教・中国の道教などがあります
それぞれの民族の知恵が凝集されているのが特徴みたいです



このように宗教と一言で言っても様々なタイプがあるんですね〜(^^)





さて 質問です!





世界的な本でベストセラーは何でしょう?








それはおそらく「聖書」でしょう





日本人ってかなりご都合主義で 正月は仏教 クリスマスは キリスト教だったりします(笑)

世界の歴史的事件には かなり宗教的要素が絡んでいます
過去には宗教戦争がいくつもあり 現代においてもイスラエルとイスラム諸国の間では紛争が絶えません

こういうことを理解するには 宗教を考察しないと何も分かりません


そこで みなさん

聖書って読んだことありますか?

聖書って何だか分かってますか?

旧約聖書と新約聖書の違いは知ってますか?



漠然としか知らない人が多いんではないでしょうか!?
私もその1人です(^^;






そこで聖書について少し勉強してみようと思ったのです!
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色んな事に 興味ありあり 好奇心旺盛なんだ。
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